きたことの記念イベントのようなものでした。
最初に来たときに工事していたのはこのブースと、アリゾナ記念館に入る前の映像を展示するシアターだったようです。
二世兵士に関する展示がある館の入り口は左の写真のようになっています。
イベントの内容は、二世兵士たちの戦争体験を、プロの語り部さんが公演するというものでした。
語られたのは、ハワイで生れ、しかし教育の関係で沖縄に戻り、沖縄に残り神風特攻隊に志願した兵士の話、開戦直前にハワイに戻り米軍に従事し、沖縄戦で住民に投降を呼びかけた兵士の話など。また第二次世界大戦下のヨーロッパで、難民に向けて大量にビザを発給した杉原千畝の話もありました。後方のスクリーンにはずっと当時の彼らの写真がスライドショーで表示されていました。
語り部さんがまた感情の表現のうまい方で、時には滑稽に、時には真剣に、時には痛々しくそれぞれのエピソードを表現してくださいました。ほぼ目の前にいた私は公演中ずっとちむわさわさーしっぱなし。色んな感情がつぎつぎと入ってきて、ちょっと疲れてしまいました。
エピソードの根底には、彼らがアメリカ人としていかに戦争に貢献したかというテーマが流れていたように思います。442部隊で活躍した話はもちろん、米軍への志願の動機は、「日本人」としての差別のなかでいかに自身が「アメリカ人」として貢献できるか、認められるのかを考えた結果、ということが協調されています。
彼らは、パールハーバーの文脈においては、差別という逆境の中で見事「アメリカ人」としての職務を果たした「ヒーロー」達なのです。これは展示の内容にも言えることだと思います。その意図は、おそらく彼らの名誉回復なのでしょう。彼らは言われているような敵性日本人ではない、立派に当時の敵国帝国ジャパンに果敢に立ち向かった英雄のひとりなのです。杉原千畝のエピソードも、ナチスからユダヤ人を救った存在としてまた敵性日本人のステレオタイプを覆す働きをなしているのかもしれません。
また、これらとは対照的に、神風特攻隊に志願した方はその内情を知らずなんとなくであった、というように表現されていたのが印象に残っています。(この演技は非常に滑稽な様子でした)
そして本人の語らない「体験談」の異様さとの葛藤。どこまで脚色されているのだろう?と疑問に思うような「演技」でもあったのですが、これらの話の元になった経験をした方々も会場にいらしていたので、おそらく誇張されてあるであろう表現には問題はないのでしょう。
というより、実際彼らは「アメリカ人」なのですし、このような説明のされかたはむしろ彼らにとっても名誉なのかもしれません。
帰りに寄ったパールシティにある 創作沖縄料理店のあんだぎー。 中にはソーキが入っていた。 うーん、テイストオブハワイのオキナワ |
講演後に何人かの二世の方々とお話をさせていただきました。
彼らは私が沖縄出身だと知ると、昔の自分の住んでいた地域や、ハワイで自身が組織した沖縄系人のグループのことについてなどお話してくださいました。このパフォーマンスを受けてのお話も、当時は本当に大変だったというような調子でお話されていました。最後に退室なさる際、奥様の手を引いて、「僕は妻を大事にするよ。だってアメリカ人だからね」と去って行かれたその言葉は、冗談と取ればよいのかどうか戸惑ってしまいました。
日系二世の話をする際、彼らの受けた教育によって彼らを分けることがあります。
ひとつは米国で生まれ、大日本帝国下の沖縄や日本で教育を受け、海外に帰った帰米二世、もうひとつは、日本学校に通っていたとしてもずっと米国で生活している二世です。
ちなみに、上に書いたように「自分はアメリカ人だから」とおっしゃっていた方は、ずっとハワイにいらした方です。
教育の違いが個人の人生や生きざまにどう影響をもたらすのか、二世について研究されている方々の気持ちが分かるような気がしました。
このイベントで披露されたパフォーマンスは、Treasure: Okinawan Memories of WWII」という名前でDVD化されているようです。どこから出ているかはわかりませんが、収益はHUOAの沖縄プラザ建設への資金になるようだったので、HUOAに問い合わせると手に入るかと思います。また、英語でよければHawaii Nisei Storyというサイトでも沢山のエピソードを読むことができます。
3度目に展示を見るために訪れた時もこれらの印象はかわらず同じでした。
二世兵士もまた、真珠湾の形作るアメリカの物語の中に収められています。
次の記事では、ハワイにとってのパールハーバーについて書きたいと思います。
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