2016/06/09

ゲンロンカフェ沖縄出張版2:政治の夜「琉球独立論は何を夢見るか」

 先日、ゲンロンカフェ沖縄出張版2:政治の夜「琉球独立論は何を夢見るか」(2016年5月27日)を見てきました。
 長いことTwitterで津田さんをフォローしており、前回の県議選でも彼のウェブメディアで特集が組まれるなどしていたこと、ハワイ大学の先輩である親川さんが登壇し「琉球独立論」について対談するということで、どんな議論になるのかとても楽しみに参加しました。

 期待していたのは、彼の主宰ということは、若い、特にインターネットから情報を得る世代へアプローチするようなイベントになるであろうということ。琉球独立論が公の場で、日本全体を含むコミュニティの中で議論されるイベントは初めてみたことから、日本の文脈の中で独立論がどう捉えられ解釈されるのかということ。沖縄から親川さんが登壇されるということで、おそらく身の詰まった議論になるであろうということです。彼女は脱植民地化という観点から独立の必要性を訴えている方で、ネット上のタフな議論にも粘り強く答えていらっしゃる方です。

 さて、蓋を開けてみると、論客であるはずの東さんは前半ずっと黙りこくっているし、親川さんがずっと説明していることがどれだけ伝わっているのかわからないし、会場にはただならぬ緊張感が流れているし…はたして議論が深まったのか、それとも思考のループが続いただけなのか、やっぱりよくわからない、という感じになってしまっていました。

 あの場で何が起こっていたのか、イベントのあとでも色々考え続け、考えが整理できるまで時間がかかりました。ハワイ大学の先輩である親川志奈子さんに送ったイベントの感想を、Open Letterのような感じでブログに残しておきたいと思います。もしイベントに参加された方がいるのであれば、感想や、私の感想に対する感想を聞かせていただけるとありがたいなと思います

 長いですが、以下 親川さんに送った感想です。

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しなこさん、

先日はホームなはずなのにアウェーなセッティングの中での長丁場、本当にお疲れ様でございました。でもあの場に登場してくれたのが親川さんで本当に良かったと感じる場面がたくさんありました。

 東さんが前半ずっと黙りこむという議論にならない場面が延々と続きましたが、そのブレイクスルーは、このイベントに期待していたものが違う、ということに気づいた瞬間でしたね。あの人は、言っていたように「自分は勉強不足だから」黙っていたのではなく、一向に自分が期待する「独立論」の詳細が聞けなかったために発言ができなかったのではないかと思います。(本当に勉強していないのであれば、「自分は誰のどの本も読んだし、どれも読んだし」みたいな発言はしなかったのでは。しかし、今思うと「自分は独立論が何を議論しているかを知らないので、その一端が聞けるまでは何も話せない」という態度だったのかもしれません。)

 ここで明らかになったのは、主催側やオーディエンスの「独立論」に対する当事者性のなさだったのではないでしょうか。かれらは、「さて独立論とやらを唱えている人がいる、いっちょ聞いてみるか」くらいの気持ちだったのでしょう。しかし話を聞いているうちに明らかになったのは、そこに自分自身も間接的であれ関わっているということでした。それはしなこさんが丁寧に沖縄に独立論が必要な背景やチェ・ゲバラになりたい日本人の態度などを指摘することで彼らに「うちあたい」させた部分であると思います。前半これにゆっくり時間を使えたのは逆に良かったのかもしれません。また、第三者(批判者)でいたかたったのに自分たちの責任をも問われるような形になったことは、彼らにとって居心地が悪かったことでしょう。

 伝わっていないメッセージもありました。それは日本人がまだまだ沖縄を植民者の視点で眼差しているということです。彼の日本人男性としてのポジションをはっきりさせた上でも自覚なしに繰り返していたこともあります。特にうちなーぐちを政治の場で大いに活用するなど、自らを意図的に異化せよ、という助言には苦笑するしかありませんでした。ここまで説明してなお、「当事者」たちへ、聞き手(抑圧者)である自分たちがわかりやすいような態度をとるように努力を求める、かつその文化を利用すべきであるというのは、その力関係を自らが反省することはないという態度の現れにしか聞こえませんでした。文化を自分たちのものとして取り戻すという点が脱植民地化のひとつのポイントであるはずですが、それが伝わっていないということは、まだまだ独立の必要性も伝わっていないということでしょうか。

 確かに、日本と沖縄では前提としているコンテクストが違うというのは、改めて気づくのに重要な点であったと思います。それを気づかせるために「当事者」が自らを戦略的に異化する必要があるかは別として、これからのコミュニケーションの際に気をつけるべきことのひとつであるなと感じました。これは実は日本と沖縄だけでなく、沖縄の中においても世代間の違いについても言えることなのではないかと考えました。基地があるのは当たり前、これまでどんな歴史があったかも知らない若い世代は、議論が起こっても、上の世代と違う反応をする(日本に近いような反応をする)ことでしょうし、実際そのようなことを目にすることも多くなってきたように思います。

 彼が暴力性をはらむ、と言っていたポジショナリティの確認ですが、これは私にとっては、コンテクストの違いを確認する上では有効だから行っていることだったという解釈です。脱植民地化というフレームを使って説明をしている以上、植民者-非植民者はどちらかを明らかにすることは前提として必要です。そのフレームを外し、ポジショナリティをあたかもないように振る舞うことは、「日本人だからあなたも同胞」と包摂し潜在する違いを覆い隠してしまうことと同じなのではないかと思います。
もしかしたら、議論の前提も違ったのかもしれません。沖縄側は今までの色々から違いを十分認識しており、ポジショナリティの違いによる立場や視点の違いを指摘するまでもなく知っており、それを前提に議論を始めてしまった。(脱植民地化までの文脈を説明しなかった。)日本側はそれに無自覚だったために、同じ前提から議論はできなかったのかもしれません。

 同じように、沖縄の内部においてアイデンティティの問題はネックになってくるだろうと感じました。これはオーディエンスの質問にいくつか見られたように、「自分はとくにうちなーんちゅとも、日本人でもないとも思っていない」「自分は沖縄でもあり、日本でもある、だから民族自決と言われても困る」みたいなことです。なぜ沖縄が非植民者の立ち位置に置かれており、そのどこが問題であるかを共有せずに独立を唱えると、あたかも民族ナショナリズムのそのままのように聞こえる危険性もあります。沖縄の中でも非植民者であるという文脈を共有していない、こういった方たちを独立論の議論は置き去りにしてしまう危険もあります。あたかも、自身が独立論の中で前提とされる「(文脈を共有する)沖縄」の一部として語られ、その多様性を無視され、共有されていない視点の中勝手に主体として含まれてしまうことによる不安を感じていることは、質問やコメントからすごく伝わったと思います。これは学会の中でもまだ議論されていることでもあるかと存じます。

 もう一つは、独立がゴールなのか、プロセスなのかという問題です。私の理解では、以下のようになります。これまで色々な問題があり、沖縄なりに日本の枠組みの中でどうにか解決できないものかと努力してきましたよね。それが復帰運動であり、条件闘争であり、県民大会や政治的な日本との交渉、ワシントン訪問などだったはずです。しかし結局私たちはその中で対等な議論はできず、結果、独立=自分たちで自分たちのことが決められるようになるはずだ、という結論に至り、その具体化のために学会がつくられるまでにも至りました。

 アイデンティティの問題も、プロセスなのかどうかという問題も、独立を議論することによって何を解決したいのか、ということをひとつひとつ明らかにすること(=文脈を共有すること)によって紐解いていけるのではないかと思います。例えば、基地問題について、これまでこんな方法で戦ってきました、でもだめでした、だから私たちは日本、アメリカと対等な政治的関係を築く必要がある。文化の問題について、日本の教育制度ではその多様性は確保されておらず、自分たちの言葉や歴史なども学ぶことができない、だから独自の教育制度を確保する必要があるのだ、などです。ひとつひとつを明らかにすることによって、自分たちに本来与えられるはずの権利や、解決できるはずの問題、そしてその方法の一つが独立の中にあるかどうか、などがわかってくるのではないかと思います。

 学ぶこと、考えさせられることの多いイベントでした。繰り返しになりますが、誰のためのどのような場か、ふんわりとした中で自分の主張を説明することはとても大変なことだったと存じます。大変お疲れ様でございました。粘り強い議論を見せていただいたこと、また様々な気づきをいただいたこと、本当にありがとうございました。

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*親川志奈子さんのTwitterはこちら

2015/02/22

グローカル:普遍と個への問い

留学への助成金を出して頂いていた機関へ報告書を提出した。
結構何を考えてきたか、学んできたのかを書いたので、ブログで共有しようと思う。

修士課程の2年間はクラスと実習が主であり、最後のまとめとして自分の研究テーマである程度の長さの論文を書いた。プロフェッショナルディグリーとして、むしろ職能のある人材を育てることが主なコースだったため、学術に偏ることなく実践もさせてもらい、とてもバランスよくどちらも学ばせていただいた。

都市・地域計画の理論・実践および実例(ケーススタディ)を通し、世界から地域単位における社会・経済活動と地域の人々の暮らしとの結びつきを包括的に学ぶことができた。また、具体的な事業に対する論理的な評価手法や、政策提言の方法についても習得した。

研究テーマは「沖縄型グローカル産業の試案」である。漠然としたテーマだが、「グローカル」とはなにか、ハワイではどのようにこのコンセプトと繋がるような都市計画やまちづくりがあるのか。その重要な点とは何かについてを学ぶ上で、常にこれは沖縄の文脈だとどうなるか、何をするべきか、ということを常に考えていた。沖縄の細かいケースについては今後むしろ実践で取り組む課題としたいが、最後に「沖縄21世紀ビジョン」のレビューをすることで、ビジョン作成の経験から学ぶような締めくくりとした。

さて、テーマにしていた「グローカル」という言葉について触れておきたい。一般には世界の普遍化(グローバリゼーション)と共に起きる地域化(ローカリゼーション)を組み合わせたもので、これらが同時に起こることを表したものである。一見止めようのない現象のようであるが、都市計画及び地域運営、経済発展の中でどのようにこの現象と付き合うか、いかに上手くこの現象と付き合っていけるのか、という疑問へのヒントを得られたことがこの2年間の大きな成果であろう。

この2年間を通して緊(ひし)と感じたことは、日本のまちづくりでよく言われる三要素、「若者、馬鹿者、よそ者」は、けして最適でないということである。ハワイのように文化や土地性を大切にする場所では、先人や年を召した知恵者(Kupunaと呼ばれ大変尊敬される)に学び、すべての世代が協力する。知恵や知識を大切にし、よく考慮した上で行動する。自身や地域の文化や土地の関わりを慎重に考え、この先この土地で自身や家族、そして子孫に何を残し、いかに生きたいのかを考える、といったプロセスのほうが重視される。ここで、地域のローカル性、独自性は正当性を持ち、かつ地域住民に無理のない形で維持される。

もちろん若い世代や行動力ある者、新しいアイデアを持ち込む者も大切であるが、前者の三要素に任せていてはその地域の独自性が迷子になってしまう可能性があるのだ。こちらの勢力はむしろグローバル的と言っていいかもしれない。例えば、情報通信技術を日常で使ったり、新しい世界的な文化に慣れ親しんだ若者や、もちろん地域外、海外からの視点、評価、経験談、方法論などである。こちらも地域が時代についていくためには必然的な要素だ。この現象は望まずとも進み、地域は自らを更新していかなければならない。しかしここで重要な事は、知恵を持った地域の人間が現在のグローバル的な価値観を検討し、その中でも地域の未来に必要な普遍的な価値を選びとることだ。

つまり言いたいのは、都市計画やまちづくりを「若者、馬鹿者、よそ者」に頼るな。グローバルで普遍的なものと、地域の価値を見出し判断する、賢く、経験から学べ、協働の方法を知るものと、協働のシステムこそが必要なのだ。ということである。(もちろんこの三者も重要であり、排除せよとは言っていない。)


例えば観光産業と文化との関わりである。訪問客はその土地でしか見られない独自性を楽しみにわざわざ足をのばす。そこに世界的水準では確かに品質のよいリゾートホテル郡やテーマパークがあったとしても、そこにその施設がある理由はなく、土地の魅力は伝わらない。そして、地域の人々にとっての伝統的な土地利用などを学ぶ機会も失われてしまう。これは地域住民にとっては文化の喪失でもある。選び取られた文化だけが残り、それが客に見せるだけの文化になってしまっても意味が無い。地域住民はその文化の所有者ではなくなり、客も生きていない文化を見る理由はなくなる。この例で行くと、むしろ地域住民の生活の中に文化が溶け込み、彼らが無理なく日常生活を営み、それに誇りをもっていることが文化に対する価値を挙げる。そもそも文化とは人々が所有するものであるからだ。そして、環境面ではバリアフリーや安全性、衛生面、交通利便性の充実などの普遍的な品質を上げることのほうが大切ではないだろうか。これらの品質向上の益者となるのは、訪問客だけではなく、地域全体である。

都市計画においては、地域と共同し彼らの生活を向上、維持しつつ、教育・訓練を受けたプロフェッショナルとして、新しい手法や技術を紹介し実現していくことが、グローカルのあり方である。ハワイでは、デザインと同じくらいプロセスの正当性が重視される。結果様々な葛藤も起こるが、計画を強行することはなく、葛藤に真摯に対応する。土地は一度手を入れてしまうと二度と元には戻らない。土地を変えると地域や人の暮らしが変わる。なにか行動を起こしてしまう前に、できるだけ可能なだけ未来を試行錯誤することが大事なのである。そのためにはプロフェッショナルとしての紛争解決能力、交渉力、市民参加の手法、議論を進める能力が不可欠である。もちろんこれらは都市計画以外にもさまざまな分野で必要な能力でもある。

最終研究主題とした「沖縄21世紀ビジョン」においては、住民協働の努力は見られた反面、ある程度方向付けが初期からされており、ビジョンとしてはスローガン的になれない程度だが十分具体的ではないという中途半端な形になっていた印象である。しかしこれは未来を考える議論を地域で巻き起こす良いきっかけである。この取組を参考とし、沖縄においては教育制度、市民社会や参加意識など、アメリカやハワイと比べまだ弱い点が多いことは課題であるが、できれば都市計画者を中心に、や地域をよく知る者と協働して、各市町村あるいはもっと小さい単位で地域の未来を作っていく習慣を築いていきたい。その際にグローバルとローカルのバランスを取り、よく考え協働するという姿勢と視点の転換を沖縄の未来への提案としたい。

2014/12/14

ハラスメントとジョニーとイノベーション

職場のハラスメント対策の講座に出るのをすっかり忘れてしまった…という時に、ふと、学部時代に経営関係のクラスを取ったことを思い出した。
組織変革論かという名前だったのだけど、組織を変革する気は全く無いような授業だった。

ストーリーテリングを手法として紹介していたのはとてもいいと思うが、その利用法がとくに組織の文化を変えるような例ではなかった。むしろ、組織のやりかたについてこない人々を「巻き込む」とかその流れに乗せていくための使い方をしていたと思う。

例えば、ある日は企業で「怒られない」新人社員の話が出た(教員からね)。最近の新人は怒られられてなく、批判されるとすぐへこみ、辞めていく。けしからぬ。。。そんな話だ。
おそらく某フードチェーンの新人研修か何かの話の流れだったので、私は「いや、それ別に力で押してくるほうが問題だろ」と思っていたのである。しかし次に彼の口から出たのは「怒られ方模擬授業」への提案だった。「私はやる気まんまんですよ、たまには学生を気持ちよく叱ってみたいですね」と。ええええ、それでいいのか。それでいいのか。そんな企業文化に慣れてしまうのでいいのか、そこ、組織で変革すべき点なのではないですか。それハラスメントですよ。

そんなことはその場ではすぐに言葉にできなかったけれど、とりあえず「えええ」とだけは感じていた。まわりの経営専攻の学生は結構乗り気であった。えええ、それでいいの。

経営専攻が仮に米国で言うビジネススクールだったとしたら、この専攻の学生たちはいずれビジネス界のマネジメントポジションにつくことを前提(希望)に教育を受けているわけである。そんな学生たちが今の組織文化に批判的でない限り、彼らはそのままその組織文化に沿うように訓練され、組織のいいように人を「組織変革」するために教育の成果を利用するのではないのか。
それでーいいのかーーー。私はいやである。

ストーリーテリングの手法で紹介された例は、氷が溶けていることに気づいたペンギンが仲間に移動するか生活習慣を変えるかだかの提案をするみたいな話だったはずである。ストーリーテリングの手法を学ぶ前に、まずそのペンギンのアイデア、氷の変化に気づく洞察力とそれを危険だとみなす判断力が必要なのである。そんな批判的思考がその場には欠けていたのだ。

だって、「それハラスメントじゃん」って言える人がいないと、その組織文化消えないですから。その状態を「ハラスメントですよ」って、名前を与えてあげる、説明のフレームワークを与えてあげることが、ストーリーテリングになるはずである。

そのクラスではやけにイノベーションイノベーションと聞いたような覚えがある。(もしかしたら私のステレオタイプかもしれないが)でも現状に問題意識を持たない人からはとくに新しいものはでてこないと思うんだよね。イノベーションだかジョナサンだかジョブスだかジョンだかが現れるのを待つ前に、そんな思考の訓練をした方がよっぽど組織変革に必要なんじゃないのー。

とりあえず、数年前の違和感をどうにか文章にできて今は満足である。あの経営専攻の学生たちは今何をしているんだろう。

2014/11/02

宮台真司が語る沖縄の生きる道「問題は基地反対の先にある」を読んで

宮台真司が語る沖縄の生きる道「問題は基地反対の先にある」を読んで
色々読みながら思うことがあるので、メモしてみる。時間に余裕のある方は、対応するインタビュー記事の箇所と一緒に読み進めるか、インタビュー記事を先に読むことをおすすめする。(リンクは一行目に貼ってあります。)

-沖縄がアイデンティティを取り戻した先に何があるのか-
「今日アイデンティティ・ベースの独立運動はありえない」=いわゆるナショナリズム=民族がその民族の国家を持つべきであるという考え、は今はありえない(現実的でない)という主張。
多民族化・多エスニック化が進んでいる中ではこの考えはちょっと古いのは確かにわかる。ひとつのアイデンティティが表に出ることで、そのアイデンティティに代表されない人々(離島や沖縄内での地方、移民、混血など)を無視することになるのもわかる。つまり、沖縄アイデンティティの主張は沖縄ナショナリズム(極端な例で言うと独立)と必ずしもダイレクトにつながっているものではない。確かに現実的にはそうであろうし、排他的な運動であってはいけないはずである。沖縄内アイデンティティは、それをツールとして何かの社会的問題を解決する手法にしかすぎないはずだ。宮台はこれについて彼の用語を使って説明するので、読み進める。

-翁長知事の<社会保守>について-
確かに沖縄がアイデンティティを持たないといけない理由は経済でも国境(道州制のこと?)のことでもない。ただし彼の<社会保守>的傾向が「観光価値を長期的に保全できる」という理由からだけではないはずである。これでは社会的保守の価値観を再び<経済保守>的な観点へ翻訳されてしまい、身も蓋もない。
「内地の<経済保守>と沖縄の<社会保守>が両立しない」というのは、沖縄が問題意識を持っているのは社会的問題であって、経済保証などでは簡単に解決しない。その経済的な解決案だけを提案してくる<経済保守>のアプローチでは、<社会保守>の考える問題は解決しない…ということなのではないか?

例えばしまくとぅば、観光価値のために言葉を守りたいのか?といえばそうではない。あれは私足しの文化であり財産である。文化を守りたいから普及運動があるのであって、消えていく言語に対して、補助金がもらえたとしても(経済的解決策)、文化は守れない。文化を守るには、教育や言語の使用・普及という社会的解決策が必要なのである。

-沖縄が経済的解決策を甘んじて受け入れてきた、という指摘からの質問-
これを宮台は、経済的解決策からの直接利益を受ける人々だけが周りにおり、反対の声を挙げづらい(もしくはそれで解決すると思いこんでいる)<社交>の範囲だけで交際関係が完結しているからであると説明する。

後半の<社会>の説明がちょっとクセモノである。<社会>がないとなぜ「広域ガバナンスができない」のだろうか。<社交>の世界からちょっと外に出て、<社会>から物事を見ると、その経済的解決策にまやかされていると気付き、<社会>のレベルでガバナンスができる、という論の展開かと思ったら、ちょっと違った。

2ページめ最後の段落で宮台は「<社会>の虚構を信じない沖縄が魅力的に見える」といいつつ、「オール沖縄」という<社会>をつくりあげている翁長氏の運動を「類例のチャンス」だという。

この後続く構造的問題についての説明も、沖縄が経済的解決策を甘んじて受け入れ、それが<社交>の範囲内でよしとされてきた、ということで説明がつくかと思う。この態度を撮り続けてきたことで、「カネで解決できる」という印象を与え続けてきてしまったわけですね。

-基地固定化への解決策-
1)住民投票-この日本の民主主義のシステムの中で、住民投票がいかに力を持つのが疑問である。さらに、<社交>のレベルにとどまる住民が必ずしも「反対」投票するとは限らない。ちなみにインタビューでは96年に一回行われたのみと言っているが、これは県民投票であり、97年にも「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票」が行われている。(結果は反対52.6%であるが、法的拘束力はない。)以上から、住民投票が彼のいうほど有効かどうかは疑問である。

2)跡地利用計画についての熟議-跡地に対しての希望や未来を形作ることは、住民に基地のない地域のビジョンを現実感をもって所有させることができる。しかし、その利用計画はまた経済に囚われたものになるのではないか?という疑問がある。(例えば大型ショッピングセンター等、彼らがすぐに失うのは基地ではなく<経済保守>からのアメなのである。)

3)外交アクション-沖縄が外交できるのであればこれは理想的である。沖縄に外交権をください。そして日本側もその決定に従うようにしてください。しかし沖縄が「反対」したとして、その代替施設は一体どこへ行くのか。他の地域にも拒否権を与えないと不平等である。
「沖縄には日本政府の頭越しにアメリカ政府と交渉する力が今もある。」
とV 字滑走路を使う案に土建屋がアメリカと交渉して計画を変更した例を出している。これは事業の詳細の変更であって、そもそも基地をつくるかどうかのレベルの交渉の話ではない。

-大田県政の失敗に学ぶ-
上に書いたように住民投票への期待はちょっと疑問である。
跡地利用計画がコンサルへの丸投げであったという指摘には頷ける。このコンサルが計画作成にどのようなアプローチをとっていたかは別の話だけれど、住民の参加なしに計画へのオーナーシップ(所有感)は得られず、住民に基地返還をリアルなものとしての説得力に欠ける。
「国際都市形成構想」がフリートレードゾーンに固執し失敗したとあるが、結局これらの政策も、経済的解決策を求めてきたことが、他の経済的解決策(振興策)の前に倒れてしまった(そして新都心を作ってしまった)ことが背景あるのではとも考える。

-北谷開発結果への批判-
北谷の例が失敗例というのは半分賛成で半分疑問である。どこにでもある娯楽施設になってしまったのか?というと、そうでもないような気もするのだ。もはや沖縄のアイデンティティのひとかどとなってしまったアメリカ文化との融合が見て取れる。しかし内地からの出資で沖縄資本への経済的還元が小規模であることはたしかにそうだ。「本土並み化」で<社会保守>が不可能になる、という点については、半分賛成である。しかし、これは沖縄の新しいアイデンティティの一部のような気もしているのである。

-「沖縄が嫌いだ」という若者たち-
この指摘はおもしろい。<社会保守>がその社会的解決を求めて打ち出してきた解決策-しまくとくばや歴史-に対して嫌悪感を抱く若者たちについて。そりゃそうである。彼らにとってそんな要素は何一つ彼らのアイデンティティを形作らない。「年長世代と記憶を共有しない」とはまさにそのことである。戦争体験や基地からの社会問題だけに言えることではない。(基地関連の社会問題がもうないというわけではないと思うが、基地をポジティブに捉える若者は多い。)ただ、そんな社会を作り上げてしまったのは誰の責任だろうか。宮代の強調する<希望ベース>はではどのように沖縄にアプライするのだろうか。

-<ヤンキー>が地域社会をまわしている?-
私にはちょっとこの「ヤンキー的地方行政」が具体的にどのようなものかピンとこない。中央行政のツールとしての地域団体のこと?これについては彼の著作をよんだほうが文脈がとれそうなのでちょっと言及するのはやめておく。

中国からの脅威(論)が地方の右翼化・米国駐留の受け入れ容認を進めるか-
この質問に宮台は<教養の劣化>について質問する形で答えている、が正直なぜその議論がここで行われるかわかりにくい。あとの質問の流れからすると、おそらく容易に他国を敵視したりするのは教養不足でありそこからくる感情論である…ということであろうか。「反知性の時代」は個人的にも頷けることがたくさんあるが、この議論はだいぶ初めからそれた議題となってきた。

と、ここまでがインタビューに関する私の考察である。長くなってしまった。しかもこの記事続くんですね。

ここまで読んだ結果から言えば、<社会保守><経済保守>という言葉を使って、日本(政府)側、沖縄側の問題提起と解決のアプローチがずれていること、沖縄側が経済的解決策に甘んじてきたこと、そしてその結果「アイデンティティ形成」が難しく、世代間でずれのあるものになってしまったことを説明している。これらの点に関しては理解できる。
ただし、彼の上げている3つの解決策にはまだ疑問が残る。住民を含めた跡地利用の議論には大賛成だが、住民側の問題意識とアプローチが<経済保守>のそれと同じだと、第二・第三の新都心を作ってしまうにとどまるのではないだろうか。
彼が沖縄が<社会>をつくろうとしていることに対して積極的なのかどうかはまだわからない。しかし、ここで現れてきた翁長氏の<社会保守>的アプローチや、彼のつくろうとする「沖縄アイデンティティ」という<社会>がどのような解決策を持ち出してくるのか、その分析が見られるのかどうか次の記事に期待したい。ただし、繰り返すが、「沖縄アイデンティティ」を保つこと=観光価値の保持というのは、結局沖縄アイデンティティを経済の用語にすり替えてしまうことになるので、それは避けていただきたい。

大学と職業と学歴とその解釈と意味

8月に投稿しようとしていた記事…
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気がつけば1年以上が過ぎていたりして、2014年ももう8月半ばに入ろうとしている。

一日中パソコンの前でデスクワークをしながら、学校、アカデミアと仕事の連続性についてぼんやりと考えてみる。ここの学生は結構メジャーを変えるし、学部生生活を長年送ることにさほど抵抗がない。まずそれは新卒一括採用制度がないからであろうし、卒業まで4年以上かかったことに対してしつこく追求されたりもしないからだ(短い時間での卒業を勧められて入るけれど)。もちろん学校卒業後の特に職歴ともならない期間に何をしていたかなど気にされることもない。自分のペースで学生生活を送りながらアルバイトやインターンなどで経験値を上げている。企業側も関連のある学部の学生に、奨学金と無/有給インターンの機会を与えて投資としている。つまり大学における教育の信用に対する投資である。

実際自分が選んだ専攻がその後の就職にきちんと影響すること、(その特定の)学位をもつということが意味を持つこと、それが企業に評価され、かつ教育及び人材に投資がなされることが重要なのである。学生も自分の未来の為に専攻を選ぶ。入学時にそれは決めなくてもよいので、色々な分野をかじってみてから、自身の興味と関心をもって選択する時間があり、後から変えること可能である。日本にもこんなシステムの大学はあるが、システムはここでは問題ではない。

時々耳にする「産学官連携」とはちょっと違う。企業は投資すると言ったが、何も研究内容までに口出しをしてくるわけではない。彼らはあくまで学生に機会を与えるのみである。もちろん学生は安い労働力として企業にとっては使い勝手が良いかもしれない。しかし学生はきちんとその職についてトレーニングされることが前提である。そしてインターンはそのまま学生の経験としてその後評価される。大学の専門課程でトレーニングされ、企業の中でトレーニングされる。大学に行き、その学位を取る意味がちゃんとある。日本のエンジニア系など実学の学生に対してこのような企業からのサポートはあるのだろうか。文系はちょっとむずかしいのかもしれないけど、例えばハワイアンの学生への援助、地元出身学生への援助など、それでも特定の価値を重んずる企業および団体からのサポートはある。

日本の大学は入るまでが大変で、アメリカの大学は入ってからが大変、と聞いたことがある。これは実際本当だと思ったし、大学の価値がまるで違うということを表している。日本もアメリカも結構な学歴社会だと思うが、その大学に入ったことが評価されるか、その大学で学業をやり遂げたことが評価されるかは大きな違いだ。加えて、アカデミア以外の場所においても、学位が重要視されるのは、アメリカの方ではなかろうか。「○○職に就くには最低でも修士号が必要」なんて日本で聞いたことがまだない。

昨日タコライスを食べながら、ルームメイトが韓国の教育事情について少し教えてくれた。韓国でも同じく(有名)大学に入るまでが大変であり、その後ももちろん勉強はするのだが、学位はとりあえず取っておくもので、就職のためにはGREやTOEFLなどの他の資格等の取得にエネルギーをそそがねばならないらしい(特に就職後英語を使う機会がなかろうと)。大学とその後のつながりがここでもずれている。

もし大学教育がもう少し機能していて、プロフェッショナルとしてのトレーニングとして社会に受け入れられるのなら、社会のあちこちに本当にその道に通じた人が働けるのになあ、と思うのである。
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とここまで書いたのはいいけれど、これはあくまでも研究機関としての大学を前提としていて、大学が職業訓練学校になれば良いという思いで書いたわけではない。
学術が実際の社会に貢献できる体制、そのパイプがつながっていて、考える方(研究)と実践する方の行き来が簡単にできるような状態を想定していたものである。たとえば、社会人が大学(院)に帰ってきて学位を取ることは、キャリアアップの一つの道である。学位をとった後は、管理職的なポジションにつきやすくなる。また、異なった分野に挑戦することで、キャリアの方向転換および発展も可能である。最近はMBA等日本でもよく聞くようになったと思うが、こういう意味で学歴・’学位が評価されるのは、研究の価値をキャリアにおいても認められるからである。

考える人がいてこそ新しいアイデアが生まれて、そんな人が社会を動かす地位につけるからこそ、研究は活かせる道があるのになあと、最近の日本の大学政策の方針を見ながらまた考えていた。

2013/04/06

Lazy Saturday

I know I need to write my essay rather than a blog post. Essay must have been far more important than this blog. I knew, I knew it. But you know, sometimes I need to demonstrate a free writing to turn my writing switch on.

Although I don't know what to begin with. It is already April 2013, new year, the Spring semester is almost ending. (I knew I need to tackle on my final project asap, too. Oh well.) Since I came back to this Aloha island, everything has been so surreal. There were several really serious tough happenings in my life last semester. Some of them were quire critical for my life and surely affects my future for decades. Life happens. But life goes on. I gotta live my life. On the other hand, since passed lunar new year, I believe, things around me is quite surreal in the different way. I still feel like my passed spring break was just a dream. Well, even put the fact besides that the Big island never betray me, it is still dreamy and unreal. I am sure I am going back to the same place again, and I will experience an another kind of awesomeness. It is quite strange that I still feel like my spring break has not yet over. That's a contradiction. I knew it. Yet still, I cannot upload my pictures from spring break on Facebook since I feel like it is telling myself that the amazing time has over. So, I might be still dreaming and I don't have any idea to prove it anyway.

Perhaps I might be able to say that I am really thankful for those who around me, stand with me, jam with me and share stories with me. I really feel like I am in the right place, at the right time, with right people. I don't know what future lead me where though I am having one of the best days in my life. So far, so good.

After this semester, I am going back to Okinawa for a month. I hope I could relax, reunite with my favorite people, and get some valuable information and questions from my island. I am also excited to going to Singapore which has been quite an interesting place for me for a long time, culture wise, politic wise, landscape wise, well, pretty much in every aspects. I am visiting there with my lovely phD friend who is presenting in her first ever solo international conference. It is such an honor to be there and share the significant moment together. We sure will have fun and great experience. I will never get such opportunity again in my life in the future...everything has been so special these days.

Things happening around me recently energizes and encourage me so much. Still lot to think, sometime get confused, sometime be relieved. This is my time for nurture my life. I might be getting closer to my own truth, hopefully.

2012/10/16

Where East mingles with West and even South and North

先週の月曜日はコロンブスデー(Columbus day)という祝日だった。発見者の日(Discoverer's day)と呼ばれたりもする。「コロンブス」が「新大陸」を「発見」した日なのである。いや、インディアンがコロンブスを「発見」した日でもある。このように、この休日の解釈は色々議論が分かれている。ちなみにハワイ大学ではだいたいの授業が通常通り行われ、私の住んでいる東西センターの寮では後者の表現が使われた。(ただしこのセンターは国のものなので、職員は休日だったようだ。ハワイアンがジェームス・クックを「発見」した日はいつなのだろうか…)

さて、ところで東西センター(East-West Center)は特別な場所だ。名前の通り、アジア、アメリカ、アフリカ、中東、太平洋諸国、オセアニア等世界中から学生が集まり共に生活している。東、西というネーミングは東洋と西洋の対比を含む表現であるのでちょっと疑問符なのだけれど、東西の枠を越えて、多様性を重視したプログラムを提供している。お陰さまで沢山の人に合うことができ、ここに住んでいるだけでもハワイに来た意義があったと思えるくらいだ。

学生たちはほとんど全員が修士、博士ないし研究者であるため、政治的でアカデミックな会話は日常茶飯事だ。(そして文字の与える印象通り、それは主にキッチンで行われる。)最近の主な話題はアメリカ大統領選である。単にその国の一部にいるからという理由だけではなく、この結果が大きく母国にも影響するからである。

今日もキッチンでイランからの学生と第二回大統領選討論会の話になった。
私を含む留学生の関心は、主に外交関係であり、これは討論でなかなか語られない。
ましてや、アメリカ人有権者であるオーディエンスからの質問も少ない。彼らの関心は主に雇用、経済、保険制度、税金などである。
それはそうだ。アメリカの抱える「国内問題」は多数あり、これらは彼ら「アメリカ人」の生活に密接している重要な問題である。


こちらはこちらとして、候補者の外交関係ポリシーについて知らないといけないね、と話す。
と同時に私たちは彼らを選ぶことができない、というジレンマが浮かび上がる。
いくら立場を知ったところで、私たちは彼らを選べない。その権利はない。せめて、この点においてはこちらをサポートしたい、という話をする位である。

大統領選討論の話をしながら、イランから来た彼が感じる不安と、沖縄から来た私の感じる不安とフラストレーションに同じ波を感じた。私たちは彼らを選べない。


先日のセミナーで紛争や社会闘争のあとの和解のプロセスの議論になったとき、東ティモールの学生が言った忘れがたい一言が響く。

「我々は隣人を選べない」

だからどうにかうまくやっていく方法を探すしかないんだ…まだまだそこに溝があったとしても。一対一の関係を築いた、その後だからこそ。

彼の話の文脈は、南アフリカにおけるアパルトヘイトの克服と、東ティモール独立後のインドネシアとの関係であった。
彼らは長い凄惨な戦いの後、独立を勝ち取っている。
その傷はまだ癒えていないが、両者の溝を埋めて、より良い関係を築くことをどちらも目指している。


隣人は時に多大な存在感をもって立ち現れる。


果たして
このデモクラシーの国と本当に一対一の関係を築けているのだろうか。
あくまでも「発見者」のホスト国であるこの国の施設と、プログラムと、その恩恵に身を浸したこの環境で考えている。

また沖縄で起きた婦女暴行事件とオスプレイを巡る騒動、過去の事件事故についてのニュースを眺めながら。