長いことTwitterで津田さんをフォローしており、前回の県議選でも彼のウェブメディアで特集が組まれるなどしていたこと、ハワイ大学の先輩である親川さんが登壇し「琉球独立論」について対談するということで、どんな議論になるのかとても楽しみに参加しました。
期待していたのは、彼の主宰ということは、若い、特にインターネットから情報を得る世代へアプローチするようなイベントになるであろうということ。琉球独立論が公の場で、日本全体を含むコミュニティの中で議論されるイベントは初めてみたことから、日本の文脈の中で独立論がどう捉えられ解釈されるのかということ。沖縄から親川さんが登壇されるということで、おそらく身の詰まった議論になるであろうということです。彼女は脱植民地化という観点から独立の必要性を訴えている方で、ネット上のタフな議論にも粘り強く答えていらっしゃる方です。
さて、蓋を開けてみると、論客であるはずの東さんは前半ずっと黙りこくっているし、親川さんがずっと説明していることがどれだけ伝わっているのかわからないし、会場にはただならぬ緊張感が流れているし…はたして議論が深まったのか、それとも思考のループが続いただけなのか、やっぱりよくわからない、という感じになってしまっていました。
あの場で何が起こっていたのか、イベントのあとでも色々考え続け、考えが整理できるまで時間がかかりました。ハワイ大学の先輩である親川志奈子さんに送ったイベントの感想を、Open Letterのような感じでブログに残しておきたいと思います。もしイベントに参加された方がいるのであれば、感想や、私の感想に対する感想を聞かせていただけるとありがたいなと思います
長いですが、以下 親川さんに送った感想です。
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しなこさん、
先日はホームなはずなのにアウェーなセッティングの中での長丁場、本当にお疲れ様でございました。でもあの場に登場してくれたのが親川さんで本当に良かったと感じる場面がたくさんありました。
東さんが前半ずっと黙りこむという議論にならない場面が延々と続きましたが、そのブレイクスルーは、このイベントに期待していたものが違う、ということに気づいた瞬間でしたね。あの人は、言っていたように「自分は勉強不足だから」黙っていたのではなく、一向に自分が期待する「独立論」の詳細が聞けなかったために発言ができなかったのではないかと思います。(本当に勉強していないのであれば、「自分は誰のどの本も読んだし、どれも読んだし」みたいな発言はしなかったのでは。しかし、今思うと「自分は独立論が何を議論しているかを知らないので、その一端が聞けるまでは何も話せない」という態度だったのかもしれません。)
ここで明らかになったのは、主催側やオーディエンスの「独立論」に対する当事者性のなさだったのではないでしょうか。かれらは、「さて独立論とやらを唱えている人がいる、いっちょ聞いてみるか」くらいの気持ちだったのでしょう。しかし話を聞いているうちに明らかになったのは、そこに自分自身も間接的であれ関わっているということでした。それはしなこさんが丁寧に沖縄に独立論が必要な背景やチェ・ゲバラになりたい日本人の態度などを指摘することで彼らに「うちあたい」させた部分であると思います。前半これにゆっくり時間を使えたのは逆に良かったのかもしれません。また、第三者(批判者)でいたかたったのに自分たちの責任をも問われるような形になったことは、彼らにとって居心地が悪かったことでしょう。
伝わっていないメッセージもありました。それは日本人がまだまだ沖縄を植民者の視点で眼差しているということです。彼の日本人男性としてのポジションをはっきりさせた上でも自覚なしに繰り返していたこともあります。特にうちなーぐちを政治の場で大いに活用するなど、自らを意図的に異化せよ、という助言には苦笑するしかありませんでした。ここまで説明してなお、「当事者」たちへ、聞き手(抑圧者)である自分たちがわかりやすいような態度をとるように努力を求める、かつその文化を利用すべきであるというのは、その力関係を自らが反省することはないという態度の現れにしか聞こえませんでした。文化を自分たちのものとして取り戻すという点が脱植民地化のひとつのポイントであるはずですが、それが伝わっていないということは、まだまだ独立の必要性も伝わっていないということでしょうか。
確かに、日本と沖縄では前提としているコンテクストが違うというのは、改めて気づくのに重要な点であったと思います。それを気づかせるために「当事者」が自らを戦略的に異化する必要があるかは別として、これからのコミュニケーションの際に気をつけるべきことのひとつであるなと感じました。これは実は日本と沖縄だけでなく、沖縄の中においても世代間の違いについても言えることなのではないかと考えました。基地があるのは当たり前、これまでどんな歴史があったかも知らない若い世代は、議論が起こっても、上の世代と違う反応をする(日本に近いような反応をする)ことでしょうし、実際そのようなことを目にすることも多くなってきたように思います。
彼が暴力性をはらむ、と言っていたポジショナリティの確認ですが、これは私にとっては、コンテクストの違いを確認する上では有効だから行っていることだったという解釈です。脱植民地化というフレームを使って説明をしている以上、植民者-非植民者はどちらかを明らかにすることは前提として必要です。そのフレームを外し、ポジショナリティをあたかもないように振る舞うことは、「日本人だからあなたも同胞」と包摂し潜在する違いを覆い隠してしまうことと同じなのではないかと思います。
もしかしたら、議論の前提も違ったのかもしれません。沖縄側は今までの色々から違いを十分認識しており、ポジショナリティの違いによる立場や視点の違いを指摘するまでもなく知っており、それを前提に議論を始めてしまった。(脱植民地化までの文脈を説明しなかった。)日本側はそれに無自覚だったために、同じ前提から議論はできなかったのかもしれません。
同じように、沖縄の内部においてアイデンティティの問題はネックになってくるだろうと感じました。これはオーディエンスの質問にいくつか見られたように、「自分はとくにうちなーんちゅとも、日本人でもないとも思っていない」「自分は沖縄でもあり、日本でもある、だから民族自決と言われても困る」みたいなことです。なぜ沖縄が非植民者の立ち位置に置かれており、そのどこが問題であるかを共有せずに独立を唱えると、あたかも民族ナショナリズムのそのままのように聞こえる危険性もあります。沖縄の中でも非植民者であるという文脈を共有していない、こういった方たちを独立論の議論は置き去りにしてしまう危険もあります。あたかも、自身が独立論の中で前提とされる「(文脈を共有する)沖縄」の一部として語られ、その多様性を無視され、共有されていない視点の中勝手に主体として含まれてしまうことによる不安を感じていることは、質問やコメントからすごく伝わったと思います。これは学会の中でもまだ議論されていることでもあるかと存じます。
もう一つは、独立がゴールなのか、プロセスなのかという問題です。私の理解では、以下のようになります。これまで色々な問題があり、沖縄なりに日本の枠組みの中でどうにか解決できないものかと努力してきましたよね。それが復帰運動であり、条件闘争であり、県民大会や政治的な日本との交渉、ワシントン訪問などだったはずです。しかし結局私たちはその中で対等な議論はできず、結果、独立=自分たちで自分たちのことが決められるようになるはずだ、という結論に至り、その具体化のために学会がつくられるまでにも至りました。
アイデンティティの問題も、プロセスなのかどうかという問題も、独立を議論することによって何を解決したいのか、ということをひとつひとつ明らかにすること(=文脈を共有すること)によって紐解いていけるのではないかと思います。例えば、基地問題について、これまでこんな方法で戦ってきました、でもだめでした、だから私たちは日本、アメリカと対等な政治的関係を築く必要がある。文化の問題について、日本の教育制度ではその多様性は確保されておらず、自分たちの言葉や歴史なども学ぶことができない、だから独自の教育制度を確保する必要があるのだ、などです。ひとつひとつを明らかにすることによって、自分たちに本来与えられるはずの権利や、解決できるはずの問題、そしてその方法の一つが独立の中にあるかどうか、などがわかってくるのではないかと思います。
学ぶこと、考えさせられることの多いイベントでした。繰り返しになりますが、誰のためのどのような場か、ふんわりとした中で自分の主張を説明することはとても大変なことだったと存じます。大変お疲れ様でございました。粘り強い議論を見せていただいたこと、また様々な気づきをいただいたこと、本当にありがとうございました。
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*親川志奈子さんのTwitterはこちら