2012/01/20

そつろん

あっという間に2012年になってしまった。今年ほど先の予定が見えない年は今までなかった。
それでも色々なものに手を出すことにはなると思うので、しばらくは好奇心のままに生きていこうと思う。(こんなことを言ったらある人に「若いなあ…」と言われた。20代の無鉄砲さはいつまで続くかな?)
卒論の提出も大学院のアプリケーションもすみ、無理なバイトをすっぱり辞めてすっかり生活に余裕ができた。新しいバイトも始めた。そろそろ新しい勉強を始めたい。英語の勉強もまた再開しようと思う。今は就活も公務員の勉強をするのにもなんだか気持ちが中途半端でしょうがない。大学院の結果が出るのが遅くて3月末なので、それまではモラトリアムを満喫することになるかもしれない。いや、なるんだろうなあ。自分はこの先何をして生きていくんだろう。


 卒論が終わったことで、なんとなーく大学生活が終わったような気がしている。卒論はまさにこの大学生活4年間の総まとめになった。社会学への入り口、英語を基礎にハワイでの留学経験、そしてそれらをまとめる作業。4年間の全てがつながっている。沢山の人に助けていただいた。思っていた以上に、なんだかものすごく内容以上に身の詰まった思い入れのある一作となってしまった。

 論全体にながれるテーマは「Who is Uchinanchu? (誰がうちなーんちゅ?)」である。これは先行文献としてかなりお世話になったウェスリー・ウエウンテンさんと、新垣誠さんによるダイアログにはじまる。三線が弾ける弾けない、美浜を知ってる知ってない、テビチは好きか、出身は、両親の出身はどこか…とどちらがより「うちなーんちゅらしい」かを争う滑稽な寸劇である。私の問題意識は、まさにここから始まった。私は三線が弾けないし、うちなーぐちもしゃべれない。だったらテレビに映る、ハワイや南米で三線を弾き民謡を歌う彼らの方が、よっぽどうちなーんちゅらしく見える。果たして、本当にそうなのだろうか。
 実際ハワイに行ってみると、そこで見られる沖縄文化はとてもお祭り的であることがわかる。でも、人々は真剣に沖縄を学ぼうとしている。組織運営や継承や伝統へのこだわりだのごちゃごちゃはあるけど、みんな「オキナワ」という何かに関わることで、楽しそうにやっている。
そんなオキナワンやコミュニティのメンバーを見て、留学生は自身にうちなーんちゅらしさを問いかける。でも、一方でお祭り的なオキナワ文化にも疑問をもつ。「あれ?自分が知ってる沖縄はこれだけじゃない。もっと複雑で、もっとごたごただ。でも、彼らは確かに自分に足りない沖縄を知ってる。
対話は言葉ではない形で繰り返されている。


 また、ハワイが沖縄出身の学生に与える影響も大きい。ハワイアン・ルネッサンス(ハワイの文化復興。ほとんどなくなりかけていたハワイの文化を、ハワイアンの人々は様々な活動によって取り戻していった。)の話は、うちなーぐちを喋れない、沖縄の文化を余り知らない、政治的な立場の低い沖縄にとって、ヒントをもたらすものであった。ハワイと沖縄は文化のみならず米軍基地、社会的地位、歴史、観光、経済など様々な面でまた沖縄と類似していることに気づくのだ。
 そんなハワイやハワイの「オキナワ」を見てきた学生たちは、自身の中の「沖縄」を見つめ直し、今の自分と自分をとりまく「沖縄」についてどーにかこーにかもっと良い未来を目指してがんばっている。誰がうちなーんちゅかなんて何で決めるの?そんなことはわからないけれど、自分の信じるうちなーの未来に向かって、みんながんばっている。

簡単に言うと、こんな話である。

 ハワイの「オキナワ」は世界中に散らばる「オキナワ」のひとかけらに過ぎないし、それも日々変わっていく。ただ、これまでに、ハワイで、ハワイのオキナワンの方々と出会い、今頑張っている方々について、その人達の背景みたいなものを伝えたかった。「外に出ないと沖縄はわからない」なんて言うが、外で何を見てきたのか?外に行けない人にも伝えたかった。

 以上私の卒論の内容をざっとまとめてみた。これは私の留学体験記でもある。同時に、ハワイに行った誰かの、沖縄の外に行っただれかの留学体験のエッセンスが詰まっている。

 わかったことは、「私たち」は、何が本当かわからないけど共通のものとして「オキナワ」を紡ぎ続けているということ。今の世代の「ウチナーンチュ」たちが、何を選びとり何を伝えて、どんな沖縄を創り上げていくのか、ずっと見ていたいというのが、専ら最近の私の好奇心の所在だ。

 ウチナーンチュ大会でできた事務局に関わりながら、常に問いかけている。世界のウチナーンチュはみんな同じじゃない。それぞれの土地にはそれぞれのウチナーンチュがいる。つながって、どうするか、なんで、つながるのか?何がうちなーで、何が自分をウチナーンチュたらしめるのか、これはいつでも自分が決めることなのだ。でも、他の「ウチナーンチュ」に出会ったら、そこでお互いの「オキナワ」の交換が始まり、その対話は永遠に続く。

 とりあえず「誰がうちなーんちゅよ?」という問いかけに対して、私は「We are Okinawan」という答えを出しておいた。とりあえずの漠然とした答えだ。でも今はそう言うことしかできないと思う。オキナワのルーツがあって、そのエスニシティを自分のバックグラウンドとして選ぶのは自由。あとは、いかに自身をウチナーンチュたらしめているか、考えていく。自分との対話も終わらない。
 これがとりあえずの結論である。



 先が見えないのも、自分の選択と自分以外の人の選択が組み合わさってどうなるかわからないのも、何事も同じという話なのかもしれない。

 ウチナーンチュ大会と沖縄を紡いでいくことについては、また改めて書こうと思う。