2014/12/14

ハラスメントとジョニーとイノベーション

職場のハラスメント対策の講座に出るのをすっかり忘れてしまった…という時に、ふと、学部時代に経営関係のクラスを取ったことを思い出した。
組織変革論かという名前だったのだけど、組織を変革する気は全く無いような授業だった。

ストーリーテリングを手法として紹介していたのはとてもいいと思うが、その利用法がとくに組織の文化を変えるような例ではなかった。むしろ、組織のやりかたについてこない人々を「巻き込む」とかその流れに乗せていくための使い方をしていたと思う。

例えば、ある日は企業で「怒られない」新人社員の話が出た(教員からね)。最近の新人は怒られられてなく、批判されるとすぐへこみ、辞めていく。けしからぬ。。。そんな話だ。
おそらく某フードチェーンの新人研修か何かの話の流れだったので、私は「いや、それ別に力で押してくるほうが問題だろ」と思っていたのである。しかし次に彼の口から出たのは「怒られ方模擬授業」への提案だった。「私はやる気まんまんですよ、たまには学生を気持ちよく叱ってみたいですね」と。ええええ、それでいいのか。それでいいのか。そんな企業文化に慣れてしまうのでいいのか、そこ、組織で変革すべき点なのではないですか。それハラスメントですよ。

そんなことはその場ではすぐに言葉にできなかったけれど、とりあえず「えええ」とだけは感じていた。まわりの経営専攻の学生は結構乗り気であった。えええ、それでいいの。

経営専攻が仮に米国で言うビジネススクールだったとしたら、この専攻の学生たちはいずれビジネス界のマネジメントポジションにつくことを前提(希望)に教育を受けているわけである。そんな学生たちが今の組織文化に批判的でない限り、彼らはそのままその組織文化に沿うように訓練され、組織のいいように人を「組織変革」するために教育の成果を利用するのではないのか。
それでーいいのかーーー。私はいやである。

ストーリーテリングの手法で紹介された例は、氷が溶けていることに気づいたペンギンが仲間に移動するか生活習慣を変えるかだかの提案をするみたいな話だったはずである。ストーリーテリングの手法を学ぶ前に、まずそのペンギンのアイデア、氷の変化に気づく洞察力とそれを危険だとみなす判断力が必要なのである。そんな批判的思考がその場には欠けていたのだ。

だって、「それハラスメントじゃん」って言える人がいないと、その組織文化消えないですから。その状態を「ハラスメントですよ」って、名前を与えてあげる、説明のフレームワークを与えてあげることが、ストーリーテリングになるはずである。

そのクラスではやけにイノベーションイノベーションと聞いたような覚えがある。(もしかしたら私のステレオタイプかもしれないが)でも現状に問題意識を持たない人からはとくに新しいものはでてこないと思うんだよね。イノベーションだかジョナサンだかジョブスだかジョンだかが現れるのを待つ前に、そんな思考の訓練をした方がよっぽど組織変革に必要なんじゃないのー。

とりあえず、数年前の違和感をどうにか文章にできて今は満足である。あの経営専攻の学生たちは今何をしているんだろう。

2014/11/02

宮台真司が語る沖縄の生きる道「問題は基地反対の先にある」を読んで

宮台真司が語る沖縄の生きる道「問題は基地反対の先にある」を読んで
色々読みながら思うことがあるので、メモしてみる。時間に余裕のある方は、対応するインタビュー記事の箇所と一緒に読み進めるか、インタビュー記事を先に読むことをおすすめする。(リンクは一行目に貼ってあります。)

-沖縄がアイデンティティを取り戻した先に何があるのか-
「今日アイデンティティ・ベースの独立運動はありえない」=いわゆるナショナリズム=民族がその民族の国家を持つべきであるという考え、は今はありえない(現実的でない)という主張。
多民族化・多エスニック化が進んでいる中ではこの考えはちょっと古いのは確かにわかる。ひとつのアイデンティティが表に出ることで、そのアイデンティティに代表されない人々(離島や沖縄内での地方、移民、混血など)を無視することになるのもわかる。つまり、沖縄アイデンティティの主張は沖縄ナショナリズム(極端な例で言うと独立)と必ずしもダイレクトにつながっているものではない。確かに現実的にはそうであろうし、排他的な運動であってはいけないはずである。沖縄内アイデンティティは、それをツールとして何かの社会的問題を解決する手法にしかすぎないはずだ。宮台はこれについて彼の用語を使って説明するので、読み進める。

-翁長知事の<社会保守>について-
確かに沖縄がアイデンティティを持たないといけない理由は経済でも国境(道州制のこと?)のことでもない。ただし彼の<社会保守>的傾向が「観光価値を長期的に保全できる」という理由からだけではないはずである。これでは社会的保守の価値観を再び<経済保守>的な観点へ翻訳されてしまい、身も蓋もない。
「内地の<経済保守>と沖縄の<社会保守>が両立しない」というのは、沖縄が問題意識を持っているのは社会的問題であって、経済保証などでは簡単に解決しない。その経済的な解決案だけを提案してくる<経済保守>のアプローチでは、<社会保守>の考える問題は解決しない…ということなのではないか?

例えばしまくとぅば、観光価値のために言葉を守りたいのか?といえばそうではない。あれは私足しの文化であり財産である。文化を守りたいから普及運動があるのであって、消えていく言語に対して、補助金がもらえたとしても(経済的解決策)、文化は守れない。文化を守るには、教育や言語の使用・普及という社会的解決策が必要なのである。

-沖縄が経済的解決策を甘んじて受け入れてきた、という指摘からの質問-
これを宮台は、経済的解決策からの直接利益を受ける人々だけが周りにおり、反対の声を挙げづらい(もしくはそれで解決すると思いこんでいる)<社交>の範囲だけで交際関係が完結しているからであると説明する。

後半の<社会>の説明がちょっとクセモノである。<社会>がないとなぜ「広域ガバナンスができない」のだろうか。<社交>の世界からちょっと外に出て、<社会>から物事を見ると、その経済的解決策にまやかされていると気付き、<社会>のレベルでガバナンスができる、という論の展開かと思ったら、ちょっと違った。

2ページめ最後の段落で宮台は「<社会>の虚構を信じない沖縄が魅力的に見える」といいつつ、「オール沖縄」という<社会>をつくりあげている翁長氏の運動を「類例のチャンス」だという。

この後続く構造的問題についての説明も、沖縄が経済的解決策を甘んじて受け入れ、それが<社交>の範囲内でよしとされてきた、ということで説明がつくかと思う。この態度を撮り続けてきたことで、「カネで解決できる」という印象を与え続けてきてしまったわけですね。

-基地固定化への解決策-
1)住民投票-この日本の民主主義のシステムの中で、住民投票がいかに力を持つのが疑問である。さらに、<社交>のレベルにとどまる住民が必ずしも「反対」投票するとは限らない。ちなみにインタビューでは96年に一回行われたのみと言っているが、これは県民投票であり、97年にも「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票」が行われている。(結果は反対52.6%であるが、法的拘束力はない。)以上から、住民投票が彼のいうほど有効かどうかは疑問である。

2)跡地利用計画についての熟議-跡地に対しての希望や未来を形作ることは、住民に基地のない地域のビジョンを現実感をもって所有させることができる。しかし、その利用計画はまた経済に囚われたものになるのではないか?という疑問がある。(例えば大型ショッピングセンター等、彼らがすぐに失うのは基地ではなく<経済保守>からのアメなのである。)

3)外交アクション-沖縄が外交できるのであればこれは理想的である。沖縄に外交権をください。そして日本側もその決定に従うようにしてください。しかし沖縄が「反対」したとして、その代替施設は一体どこへ行くのか。他の地域にも拒否権を与えないと不平等である。
「沖縄には日本政府の頭越しにアメリカ政府と交渉する力が今もある。」
とV 字滑走路を使う案に土建屋がアメリカと交渉して計画を変更した例を出している。これは事業の詳細の変更であって、そもそも基地をつくるかどうかのレベルの交渉の話ではない。

-大田県政の失敗に学ぶ-
上に書いたように住民投票への期待はちょっと疑問である。
跡地利用計画がコンサルへの丸投げであったという指摘には頷ける。このコンサルが計画作成にどのようなアプローチをとっていたかは別の話だけれど、住民の参加なしに計画へのオーナーシップ(所有感)は得られず、住民に基地返還をリアルなものとしての説得力に欠ける。
「国際都市形成構想」がフリートレードゾーンに固執し失敗したとあるが、結局これらの政策も、経済的解決策を求めてきたことが、他の経済的解決策(振興策)の前に倒れてしまった(そして新都心を作ってしまった)ことが背景あるのではとも考える。

-北谷開発結果への批判-
北谷の例が失敗例というのは半分賛成で半分疑問である。どこにでもある娯楽施設になってしまったのか?というと、そうでもないような気もするのだ。もはや沖縄のアイデンティティのひとかどとなってしまったアメリカ文化との融合が見て取れる。しかし内地からの出資で沖縄資本への経済的還元が小規模であることはたしかにそうだ。「本土並み化」で<社会保守>が不可能になる、という点については、半分賛成である。しかし、これは沖縄の新しいアイデンティティの一部のような気もしているのである。

-「沖縄が嫌いだ」という若者たち-
この指摘はおもしろい。<社会保守>がその社会的解決を求めて打ち出してきた解決策-しまくとくばや歴史-に対して嫌悪感を抱く若者たちについて。そりゃそうである。彼らにとってそんな要素は何一つ彼らのアイデンティティを形作らない。「年長世代と記憶を共有しない」とはまさにそのことである。戦争体験や基地からの社会問題だけに言えることではない。(基地関連の社会問題がもうないというわけではないと思うが、基地をポジティブに捉える若者は多い。)ただ、そんな社会を作り上げてしまったのは誰の責任だろうか。宮代の強調する<希望ベース>はではどのように沖縄にアプライするのだろうか。

-<ヤンキー>が地域社会をまわしている?-
私にはちょっとこの「ヤンキー的地方行政」が具体的にどのようなものかピンとこない。中央行政のツールとしての地域団体のこと?これについては彼の著作をよんだほうが文脈がとれそうなのでちょっと言及するのはやめておく。

中国からの脅威(論)が地方の右翼化・米国駐留の受け入れ容認を進めるか-
この質問に宮台は<教養の劣化>について質問する形で答えている、が正直なぜその議論がここで行われるかわかりにくい。あとの質問の流れからすると、おそらく容易に他国を敵視したりするのは教養不足でありそこからくる感情論である…ということであろうか。「反知性の時代」は個人的にも頷けることがたくさんあるが、この議論はだいぶ初めからそれた議題となってきた。

と、ここまでがインタビューに関する私の考察である。長くなってしまった。しかもこの記事続くんですね。

ここまで読んだ結果から言えば、<社会保守><経済保守>という言葉を使って、日本(政府)側、沖縄側の問題提起と解決のアプローチがずれていること、沖縄側が経済的解決策に甘んじてきたこと、そしてその結果「アイデンティティ形成」が難しく、世代間でずれのあるものになってしまったことを説明している。これらの点に関しては理解できる。
ただし、彼の上げている3つの解決策にはまだ疑問が残る。住民を含めた跡地利用の議論には大賛成だが、住民側の問題意識とアプローチが<経済保守>のそれと同じだと、第二・第三の新都心を作ってしまうにとどまるのではないだろうか。
彼が沖縄が<社会>をつくろうとしていることに対して積極的なのかどうかはまだわからない。しかし、ここで現れてきた翁長氏の<社会保守>的アプローチや、彼のつくろうとする「沖縄アイデンティティ」という<社会>がどのような解決策を持ち出してくるのか、その分析が見られるのかどうか次の記事に期待したい。ただし、繰り返すが、「沖縄アイデンティティ」を保つこと=観光価値の保持というのは、結局沖縄アイデンティティを経済の用語にすり替えてしまうことになるので、それは避けていただきたい。

大学と職業と学歴とその解釈と意味

8月に投稿しようとしていた記事…
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気がつけば1年以上が過ぎていたりして、2014年ももう8月半ばに入ろうとしている。

一日中パソコンの前でデスクワークをしながら、学校、アカデミアと仕事の連続性についてぼんやりと考えてみる。ここの学生は結構メジャーを変えるし、学部生生活を長年送ることにさほど抵抗がない。まずそれは新卒一括採用制度がないからであろうし、卒業まで4年以上かかったことに対してしつこく追求されたりもしないからだ(短い時間での卒業を勧められて入るけれど)。もちろん学校卒業後の特に職歴ともならない期間に何をしていたかなど気にされることもない。自分のペースで学生生活を送りながらアルバイトやインターンなどで経験値を上げている。企業側も関連のある学部の学生に、奨学金と無/有給インターンの機会を与えて投資としている。つまり大学における教育の信用に対する投資である。

実際自分が選んだ専攻がその後の就職にきちんと影響すること、(その特定の)学位をもつということが意味を持つこと、それが企業に評価され、かつ教育及び人材に投資がなされることが重要なのである。学生も自分の未来の為に専攻を選ぶ。入学時にそれは決めなくてもよいので、色々な分野をかじってみてから、自身の興味と関心をもって選択する時間があり、後から変えること可能である。日本にもこんなシステムの大学はあるが、システムはここでは問題ではない。

時々耳にする「産学官連携」とはちょっと違う。企業は投資すると言ったが、何も研究内容までに口出しをしてくるわけではない。彼らはあくまで学生に機会を与えるのみである。もちろん学生は安い労働力として企業にとっては使い勝手が良いかもしれない。しかし学生はきちんとその職についてトレーニングされることが前提である。そしてインターンはそのまま学生の経験としてその後評価される。大学の専門課程でトレーニングされ、企業の中でトレーニングされる。大学に行き、その学位を取る意味がちゃんとある。日本のエンジニア系など実学の学生に対してこのような企業からのサポートはあるのだろうか。文系はちょっとむずかしいのかもしれないけど、例えばハワイアンの学生への援助、地元出身学生への援助など、それでも特定の価値を重んずる企業および団体からのサポートはある。

日本の大学は入るまでが大変で、アメリカの大学は入ってからが大変、と聞いたことがある。これは実際本当だと思ったし、大学の価値がまるで違うということを表している。日本もアメリカも結構な学歴社会だと思うが、その大学に入ったことが評価されるか、その大学で学業をやり遂げたことが評価されるかは大きな違いだ。加えて、アカデミア以外の場所においても、学位が重要視されるのは、アメリカの方ではなかろうか。「○○職に就くには最低でも修士号が必要」なんて日本で聞いたことがまだない。

昨日タコライスを食べながら、ルームメイトが韓国の教育事情について少し教えてくれた。韓国でも同じく(有名)大学に入るまでが大変であり、その後ももちろん勉強はするのだが、学位はとりあえず取っておくもので、就職のためにはGREやTOEFLなどの他の資格等の取得にエネルギーをそそがねばならないらしい(特に就職後英語を使う機会がなかろうと)。大学とその後のつながりがここでもずれている。

もし大学教育がもう少し機能していて、プロフェッショナルとしてのトレーニングとして社会に受け入れられるのなら、社会のあちこちに本当にその道に通じた人が働けるのになあ、と思うのである。
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とここまで書いたのはいいけれど、これはあくまでも研究機関としての大学を前提としていて、大学が職業訓練学校になれば良いという思いで書いたわけではない。
学術が実際の社会に貢献できる体制、そのパイプがつながっていて、考える方(研究)と実践する方の行き来が簡単にできるような状態を想定していたものである。たとえば、社会人が大学(院)に帰ってきて学位を取ることは、キャリアアップの一つの道である。学位をとった後は、管理職的なポジションにつきやすくなる。また、異なった分野に挑戦することで、キャリアの方向転換および発展も可能である。最近はMBA等日本でもよく聞くようになったと思うが、こういう意味で学歴・’学位が評価されるのは、研究の価値をキャリアにおいても認められるからである。

考える人がいてこそ新しいアイデアが生まれて、そんな人が社会を動かす地位につけるからこそ、研究は活かせる道があるのになあと、最近の日本の大学政策の方針を見ながらまた考えていた。