2011/12/07

Pearl Heaverのおもいで #1

7日沖縄タイムス朝刊の記事
[真珠湾70年 和解の千羽鶴 県系人寄贈] 
アリゾナ記念館に、沖縄系の方々が中心に千羽鶴が送られたそうです。記事に出てくるシャーリーさんはパールハーバーの資料館に日系二世兵士の展示を作った方でもあります。


きょうで真珠湾攻撃から70年だそうです。
真珠湾には、三回行きました。
1回目は友達と一緒に、どんなものか見てみたくて。
2回目は日系二世兵士の展示ができた記念のイベントに誘われて。
3回目はその展示をちゃんと見るために。


真珠湾は、唯一私がハワイの中で強固な「アメリカ」の存在を感じたところでした。
そこはまさしく兵士たちへの哀愁と国への誇りが上手く噛み合わされ演出した領域です。
沈没したアリゾナの上に発つモニュメントに行く前にまず、ビデオを鑑賞しその攻撃と犠牲の様子、歴史を知ることとなります。その後、暗い映写室からまぶしく静かな乗船場へと静かに案内されます。
沈没した戦艦アリゾナの真上にたつアリゾナ記念館では、未だ船体から流れ出る油を見ることができ、その連ねられた名前の多さに圧倒されます。日本人が訪ねて多少辟易するのは、ここで感じる些かの加害者意識からなのでしょうか。


アリゾナ記念館まではチケットをとれば無料で行くことができます。この前に建っている2011年2月にリニューアルした資料館も無料で観覧でき、この中に日系二世兵士の展示も設置されています。
他に潜水艦ボウフィン、降伏文書の調印が行われたミズーリとその船内、展示を見ることができます。
パシフィック・アビエーション・ミュージアムという飛行機に特化したアミューズメント的印象を受ける館もあります。


私の場合、1回目は潜水艦ボウフィンとミズーリまで行ってみました。
どちらも当時の船員たちの暮らしの様子などが再現されています。
またボウフィンは船体の目の前、ミズーリは艦内に資料館があり、その歴史などを知ることができます。
ミズーリは各所に案内役の方がいるので質問に答えてくれ、またツアー客への説明を盗み聞きすることもできます。
どちらも沖縄戦でも「活躍」した館です。ボウフィンの船体には、彼(彼女?)が沈めた日本の船の数が日の丸の数で誇らしげに表されています。また資料館では同じように沈めた船の数を国旗で表した旗がありました。彼らの戦果の証なんですね。
ミズーリは激戦のさなか応援として沖縄に寄ったのち神戸や東京へ向かい降伏文書の調印式を行った経緯を知りました。
かつて艦砲射撃の一部だった船が、日本との戦争集結の地となり、その船内に私がいる、ととても妙な気持ちになりました。


ボウフィン博物館の展示の後半は、いかに現在の潜水技術が進んでいるのかの説明でした。
そこで私の目を捉えたのは「しんかい2000」です。深海の様々な事象を研究することに活躍している船で、確かに最先端の技術であることは確かでしょう。しかし日本の現代の技術がこのような文脈で、しかも展示の一番最後に置かれていることは衝撃的でした。


案外この話は長くなりそうです。
2回目と「真珠湾」自体の話を、また分けて書いていこうと思います。



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